hiro.Hasegawaの気紛れブログ


by hirop

楽しくて何が悪い?!

 随分昔、まだデジタルカメラなどなかった時代のこと。
 明け方近くまで呑んだ帰り道、「あー、写真が撮れない。スランプだぁ」と呟いたら、偉い先生に叱られた。「そんなのは怠ける言い訳だ。悩んで悩み抜いて、泥にまみれなきゃ」と。

 僕は根性論が大の苦手(というか嫌い)。楽しいことは楽しくやって、面白くなければ辞めればいいと思っている。
 無論、その先生を否定するつもりはない。実際に努力してきたことを知っているし、お互いに酔っ払ってたし…。
 努力とか根性とか、否定はしないが堂々と口に出して、ましてや他者に求めるなどということは、恐れ多くてできない。…というのは表向きで、星一徹と飛雄馬のような、根性で結ばれた親子関係がひたすらに気持ち悪いのだ。「お前ら、親子で何を頑張ってんねん?」って(笑)(自分の大リーグコンプレックスを息子に押しつけるなんて、ひどい親父だよ一徹さんったら)。

 人は、楽しければ勝手に頑張る。楽しくも面白くもないのに、汗水流してひたすら頑張るなんてどうかしている。
 こう書くと、反論は予想できる。ましてや、教師たる者が怠けを奨励するなんて…と、読解力の欠如した、または他者を批判したくてたまらない暇な人たちは大騒ぎするだろう。
 でもね、「頑張れ」とか「根性で乗り切れ」と言う人も、実は無償で頑張ってるわけじゃない。泥にまみれ、必死で努力した先に、例えば傑作をものにするとか技術を極めるとか、場合によっては名誉とか金銭とか、ずっと先には「なんか楽しいこと=お得」を見定めているのだ。
 射程距離が近いか遠いかの違いだけ。遠くの的を狙って地道な努力をすることは尊くて、近くの的を目指すのは刹那的、享楽的でダメって論理? 明日、隣の国から核ミサイルが飛んでくるかもしれないのに??(こっちの射程はかなり近いぞ)

 もちろん、将来を夢見て地道な努力を続けることを否定はしない。むしろかっこいい。
 でも、その努力が「確実に無駄になる」「おそらく何の成果も生まない」と思えるときに、それでも頑張り続けるのは愚かの極みだ。
 今8月、高校野球のまっただ中。球児たちは必死で頑張っている。将来のプロ選手を夢見て。
 でも、おそらくほとんどの球児は、将来「元野球少年」で終わるだろう。それでも「若いときに重ねた努力が、大人になってからの生き方を決める」とか、訳知り顔で大人たちは言う。「努力は裏切らない」「見る人は必ず見ている」なんて。
 ほんとかよぉ? 誰にも見てもらえず、若い日の努力を実らせることもできず、無名のまま消えていく人が世の中を支えているのだと、なぜ教えない? 君が歯を食いしばって努力しても、何の役にも立たずに終わることがほとんどだと、それでも頑張らなきゃしゃーないやんか、将来「かつて世界で活躍するアスリートを夢見たただの人」になって、もし子供ができたら「それでも生かされちまってるんだから仕方ないやろ」と、本気で子供に伝えるような大人になれと、なぜ教えない?

 頑張ればいいことがあるという、根拠のない無責任な嘘、「俺は頑張ってきたぞ」というただの自慢、聞き飽きた。
 芸術家の卵に「自分をさらけ出せ」なんて言うなら、まず自分がいかにさらけ出してこなかったかを嘆け。「恥をかけ」なんて軽く言うな。そう言っている自分はかっこいいと酔いしれておきながら、他者に恥を求めるなんてただの意地悪だ。倒錯してる。
 本当に大事なことは、死んでも口にしないだろう。それでいいのだとなぜ認めない。人に話せばすっきりする程度の苦悩は、街角の占い師にでも打ち明けときなさい。
 嫌なものは避ければいい、嫌いならしなくてもいい。面倒だけどそれでも何か楽しいと思ったら、大人が言わなくても彼らは自発的に努力する。それくらい、信頼してもいいんじゃないか? 子供を信用できないのは、自分が信用できない子供だったことの証。俺もまぁ、信用できる子供じゃなかったが、その反省を込めて信頼したいと思っている。

 僕の母はいい加減な人で、子供の頃「嫌いなものは食べなくていい」と言われ続けた。彼女自身が偏食だったからかもしれない。
 お陰で成長してから、「これではいかん」「おかんにひどい教育を受けた」と思い、進んで嫌いな野菜を食べるようになった。今思い返せば、実に見事な教育だった(最初から計算していたのかどうかは知らないが)。
 人間、好きなこと、楽しいことは必死でやる。嫌なこともするよう指導するのが教育だという声はわかるが、一歩間違うとただの強制、嫌がらせになる。嫌いなものも全部食べるまで帰さないという給食の指導に、職員室まで抗議に乗り込んだ母。それが信頼を生むのだ。
 僕は好きなことには必死の努力をする。小学生のとき、漫画を描きたくてデッサンを必死でやった。大人になってから、寝る時間を削ってプログラミングを学んだ。どちらも先の結果を夢見てではなく、ただ楽しかったから。

 頑張れとか努力せよとか言うな! 放っておいても自分から学びたくなるくらい、楽しいことを教えてやれ! 楽しければ、こちらがやめろと言っても努力するだろう。勝手に伸びていくだろう。
 先生は「ただ好きなだけでやっていられるのは今だけ。本気で取り組めば死にものぐるいの努力が必要」だと、訳知り顔に説くだろう。でも、そう言っている先生自身、好きだからやってきたのだ。物理の先生がサッカーの先生でないのは、国語の先生が数学を教えないのは、好きでなかったからでしょ?
 好き嫌いこそが人を決める。立派な人は、好き嫌いで物事を決めるなと言うだろう。でもそれは「自分がいかに知的で論理的か」をアピールしているに過ぎない。そんな知的な僕を(私を)見習って、という安っぽい下心、または無自覚の自慢。あんたが自慢しなくても、ほんとにかっこよければ勝手に見習ってくれるよ、心配すんなって(俺は見習わないけどな)。

 僕の「好き嫌いが原動力」説は結構批判される。青筋を立て、眉根をつり上げて猛反論する先生もいた。「僕は好き嫌いなんかで芸術を判断しない!」と。
 自分が冷静で知的なことアピールしたいのだろうけど、青筋立ててるところがとても感情的で、非論理的に見えるから可笑しい。人間なんて、矛盾に満ちた生き物だ。僕の言うことだって同じ。先生だからってむやみに信用するな? あ、内部矛盾を引き起こしたな、これは。脳内が無限ループに陥るかもしれない(笑)

 ってことで、ひたすら享楽的な戯言でした。
 ちなみに、お酒は入ってません(昼間なので)。
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↑ 彼は寝ることと遊ぶことと食べることには努力を惜しみません(飼い主に似てます)。


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by horonekop | 2017-08-09 18:12