hiro.Hasegawaの気紛れブログ


by hirop

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風を感じるということ

 「歩きスマホ」の危険が訴えられている。大手キャリア(Docomo、au、ソフトバンク)は、ハードウェアに「歩行を検知したら操作できなくなる」といった仕組みを組み込むことで歩調を合わせるとか。
 前を見ないで歩くことがどれだけ危険なのかは、わざわざ通信会社にお導きいただかなくても、いい大人なら、いやいや大人でなくても、絶対わかっているはず。なのに、歩きどころか自転車でスマホ画面に見入っているおバカがいるから驚く。
 確かに、ハード側で制限する必要があるのかな、とも思う(本来なら、自分で自主的に遠慮すべき)。ただ、歩いていることはセンサーで感知できるとして、自転車で走行中の状態は感知できるのかな? 縦揺れが少ないし、移動速度も歩くくらいから10km/h以上の場合もある。そこはひとつ、日本の優れたセンサー技術に期待するとしよう。


 ちなみに、通信会社が歩調を合わせることにしたのは、他社に先駆けて一社だけが安全策を施すと、社内で(主に営業・販売関連部署から)「歩行中に使えなくなったら、売れ行きが落ちる」という意見が出てくるからだそうだ。
 なるほど、売る側はユーザーの安全より儲けの方が大事だっていうことがよくわかる。自由主義経済っていうのは、人も企業もこういった反道徳な考えを抱かない、という前提(つまり性善説)で成り立っているはずなのだが…。
 企業は目先の利益に走り、人々はまさに中毒状態で、自分の安全よりLINEの既読の方が気になる様子。まるで麻薬中毒患者とクスリの売人みたいな関係だ。スマホ中毒は日本だけではなく、世界的な兆候というから、これは大変なこと。
 例えばイスラム国や北朝鮮のやっていることは世界の大半の人が「悪い」と思うでしょ? でも、スマホの普及を悪いと思う人はそんなにはいない。多数の大衆に支えられた小さなほころびが、混乱と破滅の引き金になるのは、70年前の日本やドイツで見てきたとおり。
 僕たちは、この小さな通信機能付きコンピュータを、果たしてうまく使いこなせていけるのかどうか、心配になってくる。


 で、やっと本題(遅!)。
 駅や電車の中でスマホに夢中になっている人を見るのはもう当たり前になった。みんな、自分の世界に没頭している。周囲にはたくさんの「他者」がいるのに、意識は液晶の向こうの友達や面白動画に向かっている。
 この「実環境の遮断」は、かなり以前から始まっていた。
 携帯音楽プレーヤーが普及し始めたときである。この頃も、イヤホンをしていて、背後から来る自転車に気付かずぶつかった、といった話などをよく聞いた。意識が、耳から入ってくる音楽─つまり自分の世界に向かってしまっていたわけだ。
 携帯電話によって個人対個人のメッセージ交換が、いつでもどこでもできるようになって以降、こういった「公共空間の個室化→実環境の遮断」が広まってきた。電車内での化粧や着替えも、そのひとつである。


 10年ほど前のこと。僕はカメラを提げて街を歩き、写真を撮っていた。一度、確か神戸で、携帯音楽プレーヤーで音楽を聴きながら撮影したことがある。
 すると、普段に比べてシャッターを切る回数が極端に少なくなっていることに気付いた。いつもなら、街の隅っこにあるちょっとしたモノや光景(例えば、ごみ箱の口からペットボトルが少しはみ出しているとかいったごく些細な、でも印象に残る光景)に敏感に反応していたのに、音楽を聴きながら歩いていると、気付かずに、あるいは気付いていてもそれほど「!」と思わないままに、通り過ぎてしまっていたのだ。


 何が違うのだろう? と、撮影の途中で考えた。
 思ったのは「街の光景を、目からだけで感じ取っているのではないのじゃないか」ということだった。
 イヤホンを外し、プレーヤーを停めて撮影を続けた。すると、「街の空気感」のようなものが伝わってくる。耳から入ってくるのは、人の足音や自動車のクラクション、内容はわからないが人の会話…などなど、どうでもいいようなノイズばかり。でも、その時はじめて、僕はそれまで(イヤホンを着けていたとき)「風」を感じていなかったことに気付いた。
 まさに「空気の流れ」、音を遮断すると、皮膚感覚まで遮断されてしまうようだ。もちろん、神経というセンサー回路は活動していて、触覚も脳には届くのだが、脳がそれらを処理していなかった、という感じなのだ。


 どうでもいいノイズを聞き、風を感じ始めると、途端に目に付いたモノに反応にしてシャッターを切れるようになった。
 「心を閉ざす」という言い方があるが、周囲の環境に対して、それは意図しなくても簡単にできてしまう。自分が選んだ音楽や文字、画像の情報は、目の前の(実環境での)視覚や聴覚の刺激に勝ってしまう。


 やはりね、別にカメラをぶら下げていなくても、周囲の実刺激に触れていたい。
 若者のみなさんも、一度、イヤホンを外し、スマホをポケットにしまい込んで、街を歩いてみるといい。
 通り過ぎる人々や、道端の紙くずに、「あ!」と思うことがあるかもしれない。「それがどうした」って? 別にどうでもいいことなんだけれど、どうでもいいことに心を動かされることが、つまり「風を感じる」ってことなのだと思う。


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by horonekop | 2015-11-04 14:13 | 日記・その他