hiro.Hasegawaの気紛れブログ


by hirop

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 関西人なので現物を見たことはないけれど、「電車内での化粧はご遠慮ください」という東急のCM(ポスターとTV)が、ネット上で物議をかもしている(らしい)。
 電車の中で化粧をする女性を「みっともない」とする広告。これに対して「誰にも迷惑をかけていない」とか「男の酔っぱらいの方がみっともない」とか、電鉄会社に言われたくない」とかとか…批判的な声も上がっているという。

 確かに、電鉄会社に「みっともない」「やめろ」と言われる筋合いはなさそうだ。おそらくは東急も「お年寄りに席を譲りましょう」などと同じマナー広告のつもりだったのだろう。
 お笑いタレントのカンニング竹山氏が、そんな批判に対して「じゃあ、俺が電車の中で脇を拭いたらどう思う?」と、面白いところを突いて反論。するとその声に対してまた反論…と、ネットが賑わっている。

 こういった行為が話題になって、もうずいぶんと時が経つ。社内での携帯電話の通話から始まり、携帯音楽プレーヤーの音漏れ、そして化粧に着替え…と、車内マナーの乱れが指摘され始めてから20年ほどは経つだろう。
 車内で携帯の通話をやめようと言われたときにも「おばさんたちのおしゃべりの方がうるさい」とか、いろいろと反発はあった。で、先の化粧とか着替えに関しては、確かに(見た目の問題は残るとしても)他者に迷惑をかけてはいない。騒音をまき散らすわけではないから、眠れないとか読書に集中できないというわけじゃない。

 こういったことが話題になり始めた頃、僕が真っ先に思ったのは「公共という意識の変化」だった。
 大声を上げているわけでも暴れているわけでもないのだから、化粧しようが着替えようが、勝手にやればいいのだ。でも、本来それら(化粧や着替え)は家の中でするべきこと。それを「電車の中」という「公共の場」でやっていることに対して、先の広告にあった言葉を借りれば「みっともない」と思えてくるわけだ。

 ずいぶん昔、この「うみねこ通信」でこんなエピソードを書いたことがある。
 電車のプラットフォームで、当時普及し始めたばかりの携帯電話でしゃべっていたおじさんがいた。電話の相手はおそらく部下で、フォームの男性は上司または経営者らしい。見積もりか何かの相談を受けている様子だった。男性は「かめへんかめへん、あそこには水増ししてぼったくっとけ」と、大声でしゃべっている(聞きたくなくても聞こえちゃう)。僕は「もしその男性の取引先の人が近くにいたら、きっと今後の付き合い方を変えるだろうな」と思った。
 この大声の男性、普段通り社内で部下に指示しているつもりなのだ。まさかそこが駅という公共の場であり、周囲の人の中には彼の仕事を知っている人がいるかも…などとは夢にも思っていないのだろう。
 僕は、携帯電話がまだ広まり始めたところなので、それまでの「室内での固定電話」の感覚でしゃべってしまったのだろうと思った。そして、携帯電話などの情報機器によって、僕たちの持つ「公共」のイメージは変わっていくだろうと感じた。

 それから20年ばかり経ち、もう固定電話の存在など忘れ去られたかのような今の時代になっても、人々の意識はそう変わっていないらしい。公共の場に室内の意識が染み出しているのに、それを踏まえて新たな意味での「公共」を作り上げる行為がなされていない(ネットの炎上なども根は同じだと思っている。ただ、ステージが異なるのでここでは触れないでおく)。
 世の中のほとんどの大人(子供でない人)には、公私のけじめがついていると思う。誰も、公共の場で下着だけで歩き回ったりはしない(一部の例外を除いて)。それは間違いなく「みっともない」からだ。
 化粧や着替えも同じ。本来それらは公共の場へ出るために改まり、自らを装うための行為であるから、衆目に触れない場所(自宅、自分に近い人のみのいる場所)で行われるべきものである。
 では、電車内で化粧したり着替えたりしている人たちは、周囲の乗客たちを「家族と同じくらい親しい人」だと思っているのかと言えば、もちろんそうではない。彼女たちには見えていないのだ。自分を取り巻く「周囲の人々」が。

 化粧や着替えをした結果(=装った自分)を見せるのは、会社の仲間や上司だったり、友達または恋人…といろいろあるだろう。そんな見せる対象以外の人たちは、ただの環境でしかないということだ。社会、公共を構成する他者の集団を、壁や電柱や公園のベンチ程度にしか認識できていないのだ。
 もし、これから出勤する会社の同僚や上司が、これからデートする予定の恋人が同じ電車に乗っていたら、彼女は絶対に化粧をしないだろう。つまり車内で化粧したり着替えたりする行為は、社会とか公共の場という空間に対して、自分の「素」を見られても一向にかまわない、どーでもいい存在なのだと公言することなのだ。
 「これから会う予定の『改まった場』の人たち以外は、みーんな電柱や壁みたいに思ってますよ」というメッセージを、自ら発しているわけだ。
 その意識の低さが「みっともない」のだと思う。

 ところで、今年の秋で「うみねこ通信」は20周年を迎えました。
 インターネットが一般に広まり始めた初期のころから、気ままにうだうだと書いてきましたが、今後も気ままにうだうだと書いていきます。お暇だったら、引き続きご愛読ください。

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※ ちなみに彼は♂なので化粧はしません。また、ネコなので着替えもしません(時々毛が生え変わります)。
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by horonekop | 2016-11-06 16:31 | 日記・その他