hiro.Hasegawaの気紛れブログ


by hirop

<   2017年 08月 ( 2 )   > この月の画像一覧

 近所のスーパーに、カホコさんがいるという。親に甘やかされて育ち、できないことやしたくないことを避けて、何かというとすぐに仕事を休んだり早退したりする、過保護なアルバイトの女子学生だそうだ。
 店が混んで忙しくなってくると「体調が悪いので、帰っていいですか?」と言い出す。上司が「もう少し頑張って」と言っても、休憩で食堂に行ったまま帰ってこない。
 ベテランのパート主婦たちは、売場主任に「あの子、もう帰らせてやって」と訴える。どうせ働かないんだから、いても邪魔なだけ…というわけだ。「早く辞めさせて、他のバイトを入れて」という声も出てくる。完璧な戦力外。

 そんな話を聞くと「だめな奴だなぁ」「近頃の若い者は…」なんて思ってしまうのだが、待てよと、ふと思った。
 もし日本中の若者たちがみんな、カホコさんやカホコ(カホ夫?)くんになったとしたら、と考えたのだ。
 先に書いた「好き嫌いこそが原動力」説の続き、というかそこから発展した「思いつき」である。
 なんでもかんでも「頑張れ!」「努力が足りない」というのは、教える側の「逃げ」なんじゃないかと思うのだ。
 やる気のない学生に「努力が足りない、根性がない」というのは簡単。彼らをしてやる気にさせられなかった反省が消し飛んでしまう。「あいつが悪い、俺は責任ない、以下省略…」の思考停止。
 自分の教えている高度な事柄がわかる者だけ着いてこいというのは、私は君たち愚かな学生より、こんなに賢いんですよ、こんなに勉強したんですよという傲慢にしか見えない(俺がアホなだけかもしれんが^^)ゞ)。
 もちろん僕も、そんなに立派な人格者ではないので(というか、むしろ適当で怠け者だけど)、理想的な授業ができているわけじゃない。というか、毎度納得いかなくて不満ばかり。

 さて、先のこの欄で、僕は大学でのお勉強について「嫌なことはしなくていい。楽しければ、するなといっても勝手に学ぶ」と書いた(小中の基礎教育にまで、無条件でこの考えを当てはめるつもりはない。それはまた別の議論とする)。
 「そんなことをしたら、国中誰も我慢をしなくなり、努力を避けて安易な道を選び、怠け者だらけになる。そんな国になったら、日本は科学も経済も政治も停滞し、滅んでしまう」…そんな反論は容易に予測できる。
 でもね、ひねくれ者の僕としては、科学や経済や政治が、そんなに日々発展しなければいけないの?と、疑問を呈してみたくなったのだ。だって、頑張ろうとして心を病み、生きることまで放棄する人が後を絶たない今のこの国で、それでも「頑張るのは尊い」という価値観が根を張っているのが不思議でならないのだよ。

 かつて民主党政権のとき、例の「仕分け」でスーパーコンピュータ開発について、蓮舫さんが「2位じゃダメなんですか?」と名言(迷言?)を残した。あのとき、僕は「このアホ、何を言っとるんじゃ?」と呆れたけれど、今となっては「ふむ、それも悪くないかも」と思っている。
 だって、日本の発展を願って、志ある若者たちが西洋の科学や政治経済のシステムに触れ、欧米の大国に追いつけ追い越せで必死になって学び働いた結果が、72年前の焼け野原だったじゃないか。
 「その後の復興も、日本人が一生懸命に努力したからだ」という反論については、一生懸命に戦争してなかったら、復興の必要もなかったのだよと再反論しておく。

 もしも、冒頭で触れたように、若者たちがみんな甘ったれで根性なしのカホコさんになったとしたら、「いざ戦争だ!」ってときに「銃が重いから歩くのヤダ」とか「お腹が空いたから訓練したくない」とか駄々をこね、仮病を使って訓練をサボり、軍隊を逃げ出す連中も出てきたりして、ちっとも戦争にならないだろうなと思った。
 「そうなったら、日本がよその国に侵略され、植民地になる」と危惧する人もいるだろう。だから、せめて外交の努力くらいはすべきかと、一応思う(一応ね)。冷静に事態を分析し、話し合いで危機を回避する方が、少なくとも殺人の研究とそのための訓練をするよりはよほど楽なはず(戦闘機飛ばしてミサイルを撃つ金で、難民に食料をわけ、砂漠に水道を引けるんだよ)。
 それにですね、もし「根性なし」が世界的なブームになり、世界中がダメな国民だらけになったら、「よその国を攻めるなんてめんどくせー」とか「自爆テロなんてヤダー」って人ばかりになって、結局テロも戦争も起きないんじゃないかと思うよ。

 国のためでも民族のためでも、地域のためでも会社のためでも、何のためでもいいんだけど、わけわかんないままに頑張っちゃうからいけないのだ。
 銃が重いからヤダー、撃たれたら痛いからヤダー。そんな根性なしばかりになれば、少なくとも無駄に命を散らす若者は減少すると思う。
 何バカなことを…と思うかもしれないけど、一度考えてみても悪くない。
 「そんなことになったら、一部の悪い連中の思うままになって地球が滅びる」という危惧は、当然生じるだろう。もし本当にそうなれば、地球はその程度の値打ちしかない星だったのだと諦めるのも選択肢のひとつかもしれない。
 こんな言葉があるよ。
 「本当の平和とは、それを守るための努力をしなくてもいい状態のことである」

 かつて湾岸戦争のとき、日本では海外渡航が自粛されることになった。その際、「海外レジャーに行けない」と不平を言う若者たちをテレビで見て「戦争しているときに遊べないからと文句を言うなんて不謹慎だ」とじじいの政治家が言った。
 それに対して上岡龍太郎氏は「人が遊ぼうというときに、戦争する方が不謹慎だ」と反論した。この視点がとても大事。
 みんなが同じ方向を向くとき、ロクなことが起こらない。僕たちは、「一億火の玉」のかけ声でみんな死ぬ気の戦争をして、本当に国土が火の玉になったら「一億総懺悔」して平和は尊いと言い出し、一億総モーレツに働いて、一億総テレビ人間、一億総スマホ人間…そのうち一億総忖度人間、一億総ヘイトスポーチ野郎になるかもしれない。
 あれから70年以上、ひたすら頑張ってきたのだ。そろそろ学習しましょうよ。


[PR]
by horonekop | 2017-08-12 16:46

楽しくて何が悪い?!

 随分昔、まだデジタルカメラなどなかった時代のこと。
 明け方近くまで呑んだ帰り道、「あー、写真が撮れない。スランプだぁ」と呟いたら、偉い先生に叱られた。「そんなのは怠ける言い訳だ。悩んで悩み抜いて、泥にまみれなきゃ」と。

 僕は根性論が大の苦手(というか嫌い)。楽しいことは楽しくやって、面白くなければ辞めればいいと思っている。
 無論、その先生を否定するつもりはない。実際に努力してきたことを知っているし、お互いに酔っ払ってたし…。
 努力とか根性とか、否定はしないが堂々と口に出して、ましてや他者に求めるなどということは、恐れ多くてできない。…というのは表向きで、星一徹と飛雄馬のような、根性で結ばれた親子関係がひたすらに気持ち悪いのだ。「お前ら、親子で何を頑張ってんねん?」って(笑)(自分の大リーグコンプレックスを息子に押しつけるなんて、ひどい親父だよ一徹さんったら)。

 人は、楽しければ勝手に頑張る。楽しくも面白くもないのに、汗水流してひたすら頑張るなんてどうかしている。
 こう書くと、反論は予想できる。ましてや、教師たる者が怠けを奨励するなんて…と、読解力の欠如した、または他者を批判したくてたまらない暇な人たちは大騒ぎするだろう。
 でもね、「頑張れ」とか「根性で乗り切れ」と言う人も、実は無償で頑張ってるわけじゃない。泥にまみれ、必死で努力した先に、例えば傑作をものにするとか技術を極めるとか、場合によっては名誉とか金銭とか、ずっと先には「なんか楽しいこと=お得」を見定めているのだ。
 射程距離が近いか遠いかの違いだけ。遠くの的を狙って地道な努力をすることは尊くて、近くの的を目指すのは刹那的、享楽的でダメって論理? 明日、隣の国から核ミサイルが飛んでくるかもしれないのに??(こっちの射程はかなり近いぞ)

 もちろん、将来を夢見て地道な努力を続けることを否定はしない。むしろかっこいい。
 でも、その努力が「確実に無駄になる」「おそらく何の成果も生まない」と思えるときに、それでも頑張り続けるのは愚かの極みだ。
 今8月、高校野球のまっただ中。球児たちは必死で頑張っている。将来のプロ選手を夢見て。
 でも、おそらくほとんどの球児は、将来「元野球少年」で終わるだろう。それでも「若いときに重ねた努力が、大人になってからの生き方を決める」とか、訳知り顔で大人たちは言う。「努力は裏切らない」「見る人は必ず見ている」なんて。
 ほんとかよぉ? 誰にも見てもらえず、若い日の努力を実らせることもできず、無名のまま消えていく人が世の中を支えているのだと、なぜ教えない? 君が歯を食いしばって努力しても、何の役にも立たずに終わることがほとんどだと、それでも頑張らなきゃしゃーないやんか、将来「かつて世界で活躍するアスリートを夢見たただの人」になって、もし子供ができたら「それでも生かされちまってるんだから仕方ないやろ」と、本気で子供に伝えるような大人になれと、なぜ教えない?

 頑張ればいいことがあるという、根拠のない無責任な嘘、「俺は頑張ってきたぞ」というただの自慢、聞き飽きた。
 芸術家の卵に「自分をさらけ出せ」なんて言うなら、まず自分がいかにさらけ出してこなかったかを嘆け。「恥をかけ」なんて軽く言うな。そう言っている自分はかっこいいと酔いしれておきながら、他者に恥を求めるなんてただの意地悪だ。倒錯してる。
 本当に大事なことは、死んでも口にしないだろう。それでいいのだとなぜ認めない。人に話せばすっきりする程度の苦悩は、街角の占い師にでも打ち明けときなさい。
 嫌なものは避ければいい、嫌いならしなくてもいい。面倒だけどそれでも何か楽しいと思ったら、大人が言わなくても彼らは自発的に努力する。それくらい、信頼してもいいんじゃないか? 子供を信用できないのは、自分が信用できない子供だったことの証。俺もまぁ、信用できる子供じゃなかったが、その反省を込めて信頼したいと思っている。

 僕の母はいい加減な人で、子供の頃「嫌いなものは食べなくていい」と言われ続けた。彼女自身が偏食だったからかもしれない。
 お陰で成長してから、「これではいかん」「おかんにひどい教育を受けた」と思い、進んで嫌いな野菜を食べるようになった。今思い返せば、実に見事な教育だった(最初から計算していたのかどうかは知らないが)。
 人間、好きなこと、楽しいことは必死でやる。嫌なこともするよう指導するのが教育だという声はわかるが、一歩間違うとただの強制、嫌がらせになる。嫌いなものも全部食べるまで帰さないという給食の指導に、職員室まで抗議に乗り込んだ母。それが信頼を生むのだ。
 僕は好きなことには必死の努力をする。小学生のとき、漫画を描きたくてデッサンを必死でやった。大人になってから、寝る時間を削ってプログラミングを学んだ。どちらも先の結果を夢見てではなく、ただ楽しかったから。

 頑張れとか努力せよとか言うな! 放っておいても自分から学びたくなるくらい、楽しいことを教えてやれ! 楽しければ、こちらがやめろと言っても努力するだろう。勝手に伸びていくだろう。
 先生は「ただ好きなだけでやっていられるのは今だけ。本気で取り組めば死にものぐるいの努力が必要」だと、訳知り顔に説くだろう。でも、そう言っている先生自身、好きだからやってきたのだ。物理の先生がサッカーの先生でないのは、国語の先生が数学を教えないのは、好きでなかったからでしょ?
 好き嫌いこそが人を決める。立派な人は、好き嫌いで物事を決めるなと言うだろう。でもそれは「自分がいかに知的で論理的か」をアピールしているに過ぎない。そんな知的な僕を(私を)見習って、という安っぽい下心、または無自覚の自慢。あんたが自慢しなくても、ほんとにかっこよければ勝手に見習ってくれるよ、心配すんなって(俺は見習わないけどな)。

 僕の「好き嫌いが原動力」説は結構批判される。青筋を立て、眉根をつり上げて猛反論する先生もいた。「僕は好き嫌いなんかで芸術を判断しない!」と。
 自分が冷静で知的なことアピールしたいのだろうけど、青筋立ててるところがとても感情的で、非論理的に見えるから可笑しい。人間なんて、矛盾に満ちた生き物だ。僕の言うことだって同じ。先生だからってむやみに信用するな? あ、内部矛盾を引き起こしたな、これは。脳内が無限ループに陥るかもしれない(笑)

 ってことで、ひたすら享楽的な戯言でした。
 ちなみに、お酒は入ってません(昼間なので)。
e0359459_18062493.jpg

↑ 彼は寝ることと遊ぶことと食べることには努力を惜しみません(飼い主に似てます)。


[PR]
by horonekop | 2017-08-09 18:12