映画俳優・宍戸錠さんの訃報に接し、昔、雑誌のコラムで宍戸さんに振れたことがあったのでその記事を再掲載したい。
お読みいただければおわかりだが、元々は米俳優・監督のクリント・イーストウッド氏についてのコラムである。
1996年の執筆で出版社(エーアイ出版)の許可を得てWeb(「うみねこ通信」の旧シリーズ)で「CD-ROM Showcase Returns」に再掲載していたものの再再掲載である。
このコラムは当時流行だったCD-ROMの紹介記事なのだが、編集者と「ただ対象を紹介するだけではなく、レンタルビデオ店の店長と映画談義を末うようなノリで、雑学やうんちくをちりばめた読み物に」という方向で始めたものだった。
取り上げるネタも、映画から小説、TIME LIFE(英語のニュース雑誌)からボブ・ディランまで種種雑多に無節操、いかにも「僕向き」の企画だったと思う。
なお、内容は当時のままなので、掲載時の1996眼㎜時点での内容となっている。
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CD-ROM Showcase
"EASTWOOD"
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男の子はピストルが好きだ。子供の頃の遊びと言えば、白黒テレビで見たヒーローたちの真似。少年ジェット、七色仮面に月光仮面…みんなピストルを持っていた(少年ジェットの武器は、ガス銃と「ウーヤーター」のミラクル・ボイスだったが…)。
それに、何と言っても楽しかったのは西部劇ごっこだ。ララミー牧場、ライフルマン、ローハイド…。小さい頃は紐付きコルクのブリキの鉄砲。少し大きくなると銀玉鉄砲が僕たちの「武器」だった。今のエアガンのようなパワーはなく、当たっても痛くない。至って安全な「いかにも玩具」だった。
ピストルを握れば、僕たちはヒーローになれた。神社の木陰に、あるいは路地の奥の洋服直しの看板の陰に身を潜め、息を殺して「敵」のやってくるのを待ち伏せていた。
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子供の頃の銀玉鉄砲に抱いた「銃」への憧れを、そのままモデルガンやエアガンにスライドさせてしまった大人は多い(かく言う僕もその一人だ)。だから、まだモデルガンなんていう高価なおもちゃになかなか手の出せなかった学生の頃、スクリーンで見たハリー・キャラハン刑事のマグナムぶっ放しの迫力には、思わずチビリそうになったものだ。
クリント・イーストウッドと言えば、そりゃあもう誰が何と言っても「ダーティーハリー」('71年・米)なのだ。とにかく、ハンバーガーかじりながらあのやたらでっかい44マグナム(日本では「マグナム44」と呼ばれているが、「.44MAGNUM」が正しい)をぶっ放すんだから、もうまいってしまった。
ハリー・キャラハンのガニ股スタイルは、イーストウッドがこの映画のために実際に44マグナムを装填したS&W(スミス&ウェッソン)M29を何度も撃ってみて、「足を開き、腰を落とす」という姿勢を学んだんだそうな。
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イーストウッドは、1930年アメリカはカリフォルニア州の生まれ。ってぇことは、当年とって66歳。ダーティー・ハリーの第1作目が25年前だから、当時既に41歳だった訳だ。
彼はこの映画で一躍大スターへの道を歩み始め、監督、プロデューサーなども務めて、遂に1992年、「許されざるもの」でアカデミー作品賞、監督賞を受賞…と、大スターのお決まりコースを歩んでいる。
「許されざるもの」は、年老いた賞金稼ぎのお話だ。どこまで行ってもピストルを離せ ないんだな、このヒトは…。だから、「マディソン郡の橋」で「いいおじさん」になっちまった彼を見るのは、牙を抜かれた自分を見るようで、「昔少年」たちには辛かったのだよ。
因みに、'92年のアカデミー助演男優賞は、「許されざるもの」で保安官役を演じたジーン・ハックマン(イーストウッドと同い齢。最近ではクリムゾン・タイドでデンゼル・ワシントンと共演して渋いところを見せた)だった。
「大スターのお決まりコース」と書いたが、イーストウッドがそんじょそこらの大スターと違うところは、'86年から2年間、カリフォルニア州・カーメル市の市長を務めたっていうところだ。「俳優から政治家」といえばドナルド・レーガン元大統領を思い出すが、政治家としての手腕はともかく、僕らのハリー・キャラハン刑事はあんなDAICON-ACTORじゃない。
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昔少年にとってイーストウッドはハリー・キャラハンであり、いつもピストルを握っている「やんちゃ坊主」なのだ。子供の頃僕達が憧れたカウ・ボーイの世界。イーストウッドは、テレビシリーズ「ローハイド」でイェーツの役をやっていた。その後彼はイタリアに渡り、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウェスタン(正しくは「スパゲティ・ウェスタン(Spaghetti Western)」)「荒野の用心棒」('64年。イタリア)に主演する。エンニオ・モリコーネの、あの短調のテーマ音楽が耳に残る。
この映画で、イーストウッドは世界的映画俳優としての第一歩を踏み出す。この映画、黒沢明監督・三船敏郎主演の映画「用心棒」のウェスタン版だっていうことは、知ってる人も多いだろう。セルジオ・レオーネは、大のクロサワ・ファンだった。町の通りに吹き抜ける砂嵐の中から人影が表れるシーンなんて、「そのまんま」なのだ。
日本の正統派監督・BIGクロサワからイメージを「いただいて」作ったのがマカロニ・ウェスタンなら、さらにそれを「いただきます」してできたのが日活の「無国籍アクション」だ(「ウドン・ウェスタン」なんて言われたこともあった)。ほれ、例の小林旭主演の「渡り鳥シリーズ」だよ。
舞台は日本の炭坑町だったりするのに、なぜか主人公はギターを背負って馬にまたがり、振り向きざまに拳銃の抜き撃ちをやったりなんかする。イーストウッド主演の「夕陽のガンマン」('66年・イタリア)で、ライバルの賞金稼ぎ役をやったリー・バン・クリフなんか、どうしても「エースのジョー」こと宍戸錠を連想してしまう。
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渡り鳥シリーズで宍戸錠の演じた殺し屋の役名は、みんな「エースのジョー」だと思っている人も多いようだが、実は第1作(「南国土佐を後にして」を第1作とする見方もあり、その場合は第2作目となる)の「ギターを持った渡り鳥」で初登場したときの役名は「ジョージ」、続いて「ハジキの哲」「ハジキの政」「ハートの政」…と、様々だ。
「エースのジョー」という名前は、渡り鳥シリーズを撮った斉藤武市監督の作品で、宍戸錠主演の「流れ者」('62年・日本)の中での役名なのだ。宍戸の作しか使われていない名前なのに、なぜかていちゃくしてしまった。イメージにぴったりだったんだろうね。
「エースのジョー」こと宍戸の扮する殺し屋は、様々な日活アクション映画の中でヒーローたちと戦ってきた。って訳で、宍戸=エースのジョーが懐かしのヒーローたちを訪ね歩く…という「アゲイン」って映画を、'84年に矢作俊彦さん(「気分はもう戦争」を書いた人)が作っている。
日活無国籍アクション映画の荒唐無稽な雰囲気は確かにマカロニなのだが、田舎町に流れてきたヒーローが悪者をやっつけ、またどこへともなく去っていく…という単純な筋立ては、「シェーン」('53)に代表されるアメリカ製正統派西部劇のノリだ。この「ごった煮」感、設定の無責任さが、清く正しい任侠の世界を描く東映やくざ路線と対照的で、「いかにも日活」なのであるよ。
なお、この底抜けに明るい「渡り鳥」シリーズと続編の「流れ者」シリーズの原作者は、先頃めでたく国会議員生活50周年をお迎えになった、原健三郎先生である。この原先生も、なかなかに「やんちゃ」なお人だ。
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おっと、イーストウッドの話だった。「ダーティーハリー」冒頭のハンバーガーを食いながらマグナムを撃つシーン、その背景の映画館に、彼の初監督作品「恐怖のメロディ」('71年・米)の看板がかかっているという、ちょっと楽しい仕掛けがあるのをご存知だろうか? 暇な人は、ビデオで確かめてみよう。
「恐怖のメロディ」は、イーストウッドの初監督作品だ。ダーティー・ハリーの1つ前の作品にあたる。
ローハイドの監督の一人でもあったテッド・ポスト監督が、イタリアで成功したイーストウッドをアメリカに連れ戻し、「奴らを高く吊るせ」('66年・米)を撮った。その後イーストウッドはかのドン・シーゲル監督と出会い、「マンハッタン無宿」('68年・米)、そして「恐怖のメロディ」を経てダーティー・ハリーにたどり着くのだ。
「マンハッタン無宿」も、あちこちに影響を与えた映画だ。アリゾナ州の田舎町から犯人を追ってニューヨークへやってきたイーストウッド扮する保安官補が、オートバイでビル街を走りまわるという痛快アクションだ。ダーティー・ハリーの土台とも言える。
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田舎者の警官が都会で大暴れ…という設定、田舎出身の警部がニューヨークで馬に乗って犯人を追いかける…という楽しいTVシリーズ「警部マクロード」(日本での放送はNHK)が「いただいて」いる。
日本では「刑事コロンボ」の方が人気があったので、知っている人は少ないだろう。主人公のマクロード警部を演じたのは、スティーブン・スピルバーグ監督が25歳のときに撮ったTVドラマ「激突」(Duel)」('71年・米:日本では劇場映画として劇場公開された)で主役を演じたデニス・ウィーバーだ。それに、なんと日本語の吹き替えがエースのジョーこと宍戸錠だっていうのも、取って付けたような偶然だ。
「マンハッタン無宿」でイーストウッドが演じた保安官補クーガンは、「テキサス」というニックネームで呼ばれていた。そうくると、思い出さずにはいられないのが、日本テレビの名作刑事ドラマ「太陽に吠えろ!」だ。
このシリーズは、1年ごとに新人刑事が殉職するという酷な設定になっていた。最初に殉職したのは萩原健一扮する「マカロニ」。勝野洋扮する三上刑事のニックネームはそのまま「テキサス」だった(松田優作のジーパンも懐かしいが、話の脈絡が違うので割愛しよう…)。
「太陽に吠えろ!」が影響を受けたのはマカロニ・ウェスタンではなく、マカロニから帰ってきたイーストウッドの登場する刑事モノの方だろうが、「太陽」なんて言葉が付いてること自体、西部劇を意識しているのはモロ判りだ。
「太陽に吠えろ!」で七曲署刑事課のボスこと藤堂俊介を演じていたのは、故・石原裕次郎だった。石原はタフガイ、渡り鳥・小林旭はマイトガイのニックネームで、日活アクション映画の双璧を成していた。たどっていくと、面白い偶然がいっぱいある。が、どれも「昔やんちゃ少年」の当然のなりゆきだって思えば、妙に納得できてしまう。
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おっと、また日活に戻ってしまった…。最近のイーストウッドと言えば、「パーフェクト・ワールド」('93年・米)と「マディソン郡の橋」('95年・米)が記憶に新しい。
パーフェクト・ワールドではケビン・コスナー扮する脱走囚ブッチを追いかける警察署長ガーネットの役で、これはもうかつてのやんちゃ保安官が齢取った…っていうイメージだ。
「マディソン郡…」の方は、もう話がスカスカで、共演のメリル・ストリープもクレイマー・クレイマーのときほど輝いてなかったし…、年老いたイーストウッドの渋味に何だか寂しいものを感じてしまったのは、僕だけではないだろう。
イーストウッドには、年老いたイェーツ、往年のハリー・キャラハンでいて欲しい。僕たち「昔少年」もまた、物判りのいい爺さんになることを拒絶したいものだ。銀玉鉄砲のグリップを握って、見えない「敵」に照準を合わせてみよう。
※参考文献
「きょうのシネマは/シネ・スポット三百六十五夜」山田宏一/平凡社・刊
「日活アクションの華麗な世界」渡辺武信/未来社・刊